紫微斗数の恩光星・天貴星とは:文昌・文曲との関係と卯酉の時刻
紫微斗数の恩光星と天貴星は一対の雑曜です。恩光は文昌の宮、天貴は文曲の宮から旧暦の誕生日まで数えて一つ戻して配置するため、二つが同じ宮に入るのは卯の刻と酉の刻生まれだけです。配置の例、古書の唯一の記述、命盤での読み方をまとめました。
紫微斗数(しびとすう)の恩光星(おんこうせい)と天貴星(てんきせい)は一対の雑曜で、主星や補佐の星よりずっと軽い星です。当サイトの命盤のマスにも表示されます。恩光は文昌星(もんしょうせい)に、天貴は文曲星(もんごくせい)についていき、そこから旧暦の誕生日まで数えて一つ戻った宮に入ります。つまりこの二つの位置は、生まれた時刻と生まれた日の両方で決まります。卯の刻か酉の刻に生まれた人は恩光と天貴が必ず同じ宮に入り、それ以外の時刻では必ず分かれます。
恩光と天貴の配置
安星の決まりは次のとおりです。「由文昌之宮位起初一、順行至生日再退一歩起恩光。由文曲之宮位起初一、順行至生日再退一歩起天貴。」
言いかえると、文昌のある宮を一日として、時計回りに一宮一日ずつ旧暦の誕生日まで数え、そこから一宮戻ったところが恩光です。天貴は文曲のある宮から同じように数えます。
たとえば文昌が酉にあり、誕生日が旧暦の三日なら、酉が一日、戌が二日、亥が三日で、一つ戻って戌が恩光の位置です。別の言い方をすると、旧暦の二日に生まれた人は、恩光が必ず文昌と、天貴が必ず文曲と同じ宮に入ります。旧暦の一日に生まれた人は、二つがそれぞれ文昌、文曲から一宮戻った位置に入ります。当サイトでは命盤作成プログラムで二万枚以上の命盤を実際に作って照合し、この配置法と完全に一致することを確かめています。
卯の刻と酉の刻の生まれだけが同じ宮に入る理由
文昌と文曲は生まれた時刻で配置されます。文昌は戌の宮を子の刻として反時計回りに、文曲は辰の宮を子の刻として時計回りに数えるので、二つが同じ宮に入るのは卯の刻と酉の刻に生まれたときだけです。恩光と天貴は、文昌と文曲からそれぞれ同じ日数だけ進めたものなので、二つの間の距離は文昌と文曲の距離とまったく同じです。そのため、同じ宮に入るのもやはり卯の刻と酉の刻だけになります。
当サイトのプログラムで時刻ごとに計算すると、卯の刻と酉の刻に生まれた命盤では恩光と天貴がすべて同じ宮に入り、ほかの十の時刻では一枚も同じ宮に入りませんでした。文昌と文曲が同じ宮に入るときの読み方は文昌星をご覧ください。
古書に書かれていること
当サイトが参照している『紫微斗数全書』で、恩光という星が出てくるのは巻七「譚命活套」の「批貴命」の一句「小限恩光台輔、文宗取試名揚」だけです。高い地位に就く命のために書かれた批評文の一節で、小限が恩光と台輔(たいほ)のある宮に来た年に、試験で名を上げるという意味です。天貴は、論断の文章には一度も出てきません。
巻二「女命骨髄賦註解」にも「旺夫益子受恩光」という一句がありますが、ここでの恩光は「恩恵を受ける」という意味で、前後の文は化禄と禄存について書いたものです。恩光星とは関係ありません。
世間では恩光と天貴は目上の引き立てや受賞を表すとよく言われますが、当サイトが参照する古書で見つかるのは上の小限の一句だけです。当サイトでは、この二つの星だけで昇進や名声を判断することはしません。
命盤での読み方
当サイトの読み方では、恩光と天貴はほかの雑曜と同じく、その宮に少し色を添える星です。まずその宮の主星と四化を読み、次に文昌、文曲、天魁星(てんかいせい)、天鉞星(てんえつせい)が一緒に来ているかを見て、恩光と天貴は最後に見ます。古書の一句も小限という層で、ある一年の出来事について書いたもので、本命の一生を決める言葉ではありません。本命は傾向を表し、出来事は運限で見ます。小限とはをご覧ください。
雑曜にはほかにどんな星があり、重みをどう並べるかは星の等級の分け方にまとめています。
無料で命盤を作成して、まず文昌と文曲がどの宮にあるかを見つけ、次に恩光と天貴を探してください。旧暦の誕生日と照らし合わせて、上の数え方どおりに入っているかを確かめられます。